ただ,この 練習はダメだと思った.どことなくルーチン的な練習になっていて,「弾かされている」感じがしたからだ.音楽として,表面上は成立していても,内面的には 死んでいて,成立していない気がした.音楽がコミュニケーションだとしたら,これは音楽ではなく,何らかの「リプレイ」にすぎない.音楽の持つ生々しさ, 生命感のようなものが無くなってしまうと,音楽ではなくなる.
ではテクノミュージックは音楽ではないのか?意外なことに自分は,YMOや,中田ヤスタカや,キリンジの作るような,テクノミュージックは好きだ.しかし極端に嫌いなテクノミュージックもある.
自分の好きなテクノミュージックには,ある特徴があると思う.それは機械的なのだが,そこに魂が宿っている気がする音楽だ.入魂されている音楽だ.自分の 好きなテクノミュージックは,おそらくテクノだけで成立しているのではないのだろう.通常の音楽のバックグラウンドから立ち上がってきたテクノミュージックとでも言えばいいのだろうか?それらの音楽には,どことなく人間臭さがある.自律型ロボットだと思ったら,中にパイロットが入っていたというような…
この話はきっと,どこかで専門家達が語り尽くしている話題なのかもしれないので,これ以上触れないが,自分にとって音楽とは魂との関係が深い.だから魂の 抜け殻のような演奏や音楽には ,興味が無いし,音楽として認識できない.だから数理的な手法を使用して作られた音楽に美的なものを感じても,音楽としては死んでいると判断するのかもし れない.もし自分がそれらに音楽を感じたとしたら,それらはおそらく最初から生きていて,それを発見したということになるのだろうが,今のところそういう 経験は無い.
話が横にそれたが,本日の練習はダメだったと思う.また次回に挽回することにしよう.ということでお疲れ様でした.
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