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2013年12月12日木曜日

コンピュータ音楽の分水嶺(on twitter @rahumj)

 本日のTVにおける坂本龍一の発言を聞いてふと思った.

 コンピュータ音楽創作において2つの方向性があるということ.一つはコンピュータの冷たい数理的美しさ・清潔さを追求する方向,つまり人から離れようとする方向.もう一つはコンピュータに命を吹きこもうとする方向.つまり人肌に近づけようとする方向.

 前者は「人から遠ざかっていく音楽」と言えるのかもしれない.その追求とは詰まるところ,人間と音楽自体の間に横たわる決して越えることの出来ない深淵を,認識するという行為なのかもしれない.

 その深淵を前にして絶望することのない音楽家には,おそらく音楽自体に対する敬虔な信仰があるのだろう.その前に立ち止まれば彼は,決して越えることの出来ない深淵の向こうから流れてくる,数理的美の芳香に癒される.しかし後を追って歩き始めれば,深淵はますます広く,そして深くなっていく.ここに彼の信仰は試されるであろう.

 後者はもっとわかりやすい.人肌を目指すコンピュータ音楽の目標は,明らかにアンドロイドである.それはただのアンドロイドではない.そのアンドロイドは,人類の誕生から現在に至るまで,人としては決してやってくることはなかった「究極の美女」の像である.

 前者と違い,後者のアプローチをとる者は,音楽自体と人間との間に絶対的な断絶があるとは認識しておらず,むしろ両者間の距離はその追究によって限りなく縮める事が可能であり,最終的には人間と音楽とが完全に「一体となる」ことができると想定している.

 ピュグマリオーンの甘美な夢を見た人々の悲劇は,彼らの作品が結局は物体であり,一体化が不能であったことによる.しかし音楽作品ではどうなのか?そもそも自分で音楽を創作し,それを自分で奏でるという行為は,ピュグマリオーン性を元来持っているのでは無かろうか?

 いずれにしてもピュグマリオーン主義者は注意しなければならない.一つは内向的排他性(閉じた系)に伴う死.もう一つは快楽追求主義による消耗死である.

 この2つの方向性は,コンピュータ音楽の問題というよりも,古くから音楽に内在していた問題であり,それがコンピュータという拡大鏡の出現により顕在化した,といったほうが正しいのかもしれない.

 おそらくバッハは,その作曲において,神と人とによって形成された無限の広さを持つ1次元空間の,いったいどこに己の工房を築くのかについて苦慮したことだろう.しかし,ありがたいことだ.彼にはその決定のためのある資料が手渡されていたのだ.それが聖書であった.

2013年11月11日月曜日

椎名林檎「熱愛発覚中」で見せた,中田ヤスタカの編曲センス(on twitter @rahumj)

椎名林檎「熱愛発覚中」
椎名林檎「熱愛発覚中」PVより
椎名林檎のコラボレーション・ベスト・アルバム『浮き名』収録曲である「熱愛発覚中」のPVが公開されたため,YouTubeにて視聴.この曲の作曲は椎名林檎,編曲は中田ヤスタカ .

 今,自分がアレンジャーとして注目している中田ヤスタカが,椎名林檎の曲をどのようにアレンジするかが大変気になった.彼は,単純なテクノポップアレンジャーではない.当初は彼を「ポスト小室哲哉」と見なす人もいたが,最近では「ポスト坂本龍一」との声さえ聞こえてくる.

 椎名林檎と言えば,2013年に解散した「東京事変」における亀田誠治アレンジが(ややベーシストよりな気はするが)非常に高い完成度を誇っている.果たして中田ヤスタカは亀田越えを狙うのか?それとも今までの編曲フォーマットをそのまま用いて戦いを避け,無難にやり過ごすのか?

 ちなみに亀田誠治は2007年に平井堅の「哀歌 (エレジー) 」等で,中田ヤスタカは2012年に(自分には衝撃的な編曲だった)Perfume「スパイス」等で,日本レコード大賞編曲賞を共に受賞している.

 ということで,熱愛発覚中のPVを視聴した.そして驚愕した.中田ヤスタカは本気だった.イントロは映画音楽風でティンパニを使ったり,お得意のワブルベースがうなったりして,予想範囲内に留まっていたため,まあまあかなと思っていた.ところがサビに入るや一転,怒濤の展開となる.神経を逆撫でするようなシンセ音のharmonyなのだが,それに美しさや緻密さを感じて,酔わされてしまうのだ.どんな音がどのようになっているのか,何度でも聞いてしまう.中田ヤスタカお得意の中毒性のある曲だ.

 とにかく「百聞は一聴にしかず」であるので,YouTube の熱愛発覚中のPVを「聴いて」判断して欲しい.ただし視聴の注意点がいくつか.
  1. 林檎(既に二児の母)の露出度が高いので,ビジュアルが気になって音に集中しにくい(特に男性男性).
  2. アクションのSEのために,音が取りにくい.

 もしかしたら,サビの部分も意外に単純なコードや音を使っているのかもしれない.シンセ音のグラデーションのようなharmonyに幻惑されて,音を脳内補完しているのかもしれない.これは「熱愛発覚中」が収録されているアルバム「浮き名 (11/13発売)」を待つこととしよう.

 しかし中田ヤスタカは恐るべき音楽家だ.誰も思いつかないようなアレンジのアイディアをどこから仕入れてくるのか?いったいどこで編曲の勉強をしていたのか?それとも感性だけでアレンジしているのか?そんなことが可能だろうか?しかも実力は徐々に上がっているように思えるのもすごい.侮れない…

 最後にこのニューアルバムには「浮き名」には,あの御大 Burt Bacharach(85才)から提供された「IT WAS YOU」も含まれる.こちらのPVも視聴したが自分的にはあまりBacharach色は感じなかった.

追伸:
 もしかしたら中田ヤスタカのアレンジは,コード進行を決めた後,キーボードで自由に何度も即興演奏をして,その中の気に入ったフレーズをいくつかチョイスし,それを多声化してアレンジしているのか?そこはかとなく闊達な即行演奏的なニューアンスがあるのはそのためか?メロディ博士?

2013年9月22日日曜日

本日のピアノ練習 2013/09/21

 本日のピアノ練習は,1時間半程度.練習はスタンダードなもの.インヴェンション 第2番の片手練習を,YouTubeに合わせて弾く.本日は第2番の練習を,40分ぐらいで切り上げて,残りは第1番に当てた.第1番の練習は両手練習を 主にやったのだが,本日は比較的調子がよかった.もしかしたら今までで一番うまく弾けているのかもしれない.

 ただ,この 練習はダメだと思った.どことなくルーチン的な練習になっていて,「弾かされている」感じがしたからだ.音楽として,表面上は成立していても,内面的には 死んでいて,成立していない気がした.音楽がコミュニケーションだとしたら,これは音楽ではなく,何らかの「リプレイ」にすぎない.音楽の持つ生々しさ, 生命感のようなものが無くなってしまうと,音楽ではなくなる.

 ではテクノミュージックは音楽ではないのか?意外なことに自分は,YMOや,中田ヤスタカや,キリンジの作るような,テクノミュージックは好きだ.しかし極端に嫌いなテクノミュージックもある.

  自分の好きなテクノミュージックには,ある特徴があると思う.それは機械的なのだが,そこに魂が宿っている気がする音楽だ.入魂されている音楽だ.自分の 好きなテクノミュージックは,おそらくテクノだけで成立しているのではないのだろう.通常の音楽のバックグラウンドから立ち上がってきたテクノミュージックとでも言えばいいのだろうか?それらの音楽には,どことなく人間臭さがある.自律型ロボットだと思ったら,中にパイロットが入っていたというような…

  この話はきっと,どこかで専門家達が語り尽くしている話題なのかもしれないので,これ以上触れないが,自分にとって音楽とは魂との関係が深い.だから魂の 抜け殻のような演奏や音楽には ,興味が無いし,音楽として認識できない.だから数理的な手法を使用して作られた音楽に美的なものを感じても,音楽としては死んでいると判断するのかもし れない.もし自分がそれらに音楽を感じたとしたら,それらはおそらく最初から生きていて,それを発見したということになるのだろうが,今のところそういう 経験は無い.

 話が横にそれたが,本日の練習はダメだったと思う.また次回に挽回することにしよう.ということでお疲れ様でした.