2013年12月9日月曜日

オルガンコンサートでの再発見(on twitter @rahumj)

 オルガンコンサート終了後の懇談会.コーヒーを飲みながらオルガニストの方とお話が出来て,私にとってはとても楽しいひとときだった.本日の演目構成は,前半は主にクリスマス向けのパストラーレ,後半は同じくクリスマス向けの楽しい有名な讃美歌というもの.この中には当然バッハも含まれる.

 特に前半の構成は,ほぼバッハ以前のパストラーレ系作品を続けて演奏し,最後にバッハのパストラーレ BWV590 を演奏するというものだった.その最後のバッハの演奏が,予想に反して,あまりにも近代的に自分の耳に響いたので面食らってしまった.

 「バッハ以前」と表現したが,ジーフェルトを除いて,ツィポリ,コレッリ,ブッツシュタットといった,ほぼバッハと同年代の作曲家の作品だった.また時代的にバッハ後であるバルバトルの作品も含まれていた.これはオルガニストの方に確認していないが,意図的な構成なのだろう.

 バルバトル除いたそれらのパストラーレ系の作品には,確かにある種独特のニオイが漂っていた.それはおそらく牧羊の群れのニオイ,田舎における素朴な生活臭であった.
ところがバッハのパストラール BWV590 は驚くべきことに無臭だった.確かにバッハは羊(牧歌)を材料に料理しているようなのだが,その焼き肉からは羊の臭みが全くしない.あく抜きされ,臭みがなく,おまけに美しく整然と盛りつけられていた.自分が近代を感じたのはそのためだろう

 それでは,バッハ以降のバルバトル (1727-1799)の作品はどうかというと,今度は逆に羊っぽさが全くなくなる.もちろんパストラーレではないから,羊臭が無いのも当然ではあるが,元ネタは讃美歌第二編112番,スイス民謡のノエル=クリスマスキャロルだ.

 このバルバトル の変奏曲は,全く元ネタの民謡臭がしないだけでなく,もっと人工的な,華美な,装飾的な,もっと言えば拘束的なものを感じた.羊に豪華な服を着せたような感じだ.それが革命を目前にひかえた,当時のフランス文化のなせる業だったのかもしれない.

 バッハ以前のパストラーレを4曲,バッハ以後のパストラーレを1曲が演奏された後に聞くバッハのパストラーレは,単に近代的に聞こえただけではなく,素材(牧歌)の良さを殺さない絶妙なバランスのとれた作品として自分の耳に響いた.

 ツィポリやコレッリは比較的有名な作曲家だが,今回の演奏を聴いた後,自分は思ってしまった.

 「バッハはこれらの作曲家とは格が違う」

と.そして改めて,バッハのすごさを再認識し,打ちのめされたのであった.

 ただ今回のオルガニストの方は懇談会において,「この教会のポジティフオルガンには,素朴な曲が似合っているから」ということで,これらマイナーな牧歌色の強い曲を選んだとのことだった.バッハのような完成度の高い作品ばかりではなく,素朴な曲の持っている「良さ」も知ってもらいたかったのだろう.

 おそらくこのような曲順になったのは,単純にバッハのパストラーレが,このコンサートのメインの曲で,難曲かつ長い尺の曲だったというだけではなく,最初にバッハのこの曲をやってしまうと,残りの曲があまりにも素朴で,つまらない曲に聞こえてしまうからだろう.

 ただバッハを最後に配置した今回の曲順は,バッハを最初に配置した逆順よりも,バッハのすごさを認識させるのには効果的だったという気がする.興奮冷めやらぬ自分は,家に帰ってから改めて,バッハのパストラーレを Karl Richter 版で聞き直したのであった.

 するとこちらは本物のパイプオルガンなので,音の残響時間と太さが全く異なり,また印象が変わってしまった.

 ちょっと惑溺感のような,夢見心地の酔いが入り交じってくる.当たり前なのだが,教会のポジティフオルガンは,鍵盤は1段しかなく音域が狭い.そしてなによりも音そのものが圧倒的に小さい.その上,礼拝堂の構造が無響室のようになっているため,ほぼ無残響である.オルガニストの方も「残響が無いのでごまかしがきかない」と言っておられた.当然バッハは,通常のパイプオルガンによる演奏を想定して作曲している.残響による音の入り交じりも計算に入れているはずである.

 すると自分が聞いた,バッハのパストラーレ Karl Richter 版で感じたあの「酔い」は,本来の演奏では必須なのだろう.つまり臭みの無い,整然と盛りつけられた,極上の羊の焼き肉には,ブドウ酒が添えられていたのであった.

 つまり,ポジティフオルガンによるバッハのパストラーレの演奏は本来不可能なのだが,それを百も承知の上で,オルガニストの方は演奏されたのだろう.

 そしてオルガニストの方が感じたであろう,その「歯がゆさ」のようなものが,ポジティフオルガンや残響の無い礼拝堂でも問題の少ない,牧歌性(笛による,無残響の野外で演奏)の強い古い曲への演奏意欲につながっていると想像する.

 自分はパイプオルガンをその本体だけで成立する楽器だと思い込んでいた.しかしそれは間違いだった.パイプオルガン本体は楽器の発声部にすぎない.パイプオルガンは,そのオルガンを内蔵した建築物全体で鳴らす超巨大楽器だったのだ.

 パイプオルガンを購入すると言うことは,一つの建築物を購入することに他ならない.こう考えてみると,制作費用1億円以上,年間維持費200万円とも言われる,そのパイプオルガンを預かる選任オルガニストの重責は想像を絶するものがある.音楽のプロ中のプロが選ばれるのも当然だ.

 そして,はたと気づいた.あの野平一郎のような大先生が,なぜ地方の静岡音楽館AOIの芸術監督になったのか.それはそこにパイプオルガンがあったからだと.

最後に本日の演目を上げておく.
  1. D.ツイッポリ(1675-1716)
    パストラーレ ハ長調
  2. A.コレッリ(1653-1713)
    パストラーレ ト長調
  3. P.ジーフェルト(1586-1666)
    変奏曲「御子,ベツレヘムに生まれぬ」
  4. J.ブッツシュタット(1666-1727)
    「今きたりませ」による2つの変奏曲 讃美歌第二編96番
  5. C.バルバトル(1727-1799)
    スイスのノエル「彼は可愛い天使」による変奏曲 讃美歌第二編112番
  6. J.S.バッハ(1685-1750)
    パストラーレ BWV590
  7. 作曲者不詳
    「ああ,お母様聞いて頂戴」による5つの変奏曲
  8. J.S.バッハ
    「あまき喜びの中に」 BVW729 讃美歌102番
  9. R.テイラー(1747-1825)
    「神の御子は」による変奏曲 讃美歌111番
  10. B.カー(1769-1825)
    「いざ歌え,いざ祝え」による変奏曲 讃美歌108番
  11. G.ムファット(1653-1704)
    トッカータ2番 ニ短調
  12. アンコール曲(失念)

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